「私にとっての最高の勝利は、
ありのままで生きられる様になったこと、
自分と他人の欠点を受け入れられる様になったことです」
突然何を言っているんだお前は!?
と思われた方もいるかもしれませんね。
ボスです。
6月も最後の週に差し掛かり、蒸し暑く寝苦しい夜、
わたくしは別の理由で眠れない日々が続いております。
ご存知の方も多くいらっしゃると思います。
上原幸恵&宮城有沙&山口麻衣子
卒業
そうです、
てぃーち界切っての、通称「モテないシスターズ」の3名の報われない美女たちが、
ついに引退を決意したのです。
幸恵にいたっては、
愛知に行っては舞い戻り、
カナダに行っても舞い戻り、
タイでキックボクシングをかましては舞い戻り、
いつもてぃーちが心の拠り所で、
いつでも助けに来てくれたのですが、
今回ばかりは本当の本当に卒業するっぽいです
「だってもう30なんだもんっ!!」
これが退職理由です。
わたくしが思うに、この3名は強いです
一生パートナーなんかいなくても生きてゆけます。
むしろこの3人を幸せにできる様な屈強な男性が地球には存在してないかもしれません。
先日、この3人がお酒を飲みながら、
「ふ抜けた男ばっかりっ!!」
って言っているのを8回聞いたことがあります。
何があったかは恐ろしくて聞いておりません。
残念ながらこの3人を幸せにできる男性は、35億人中一人もいないようです。
わたくしはそんな彼女たちに、ある逸話をプレゼントしたいと思います。
”私なんか存在価値がない”
いきなり過激なタイトルコールでビックリしたと思いますが続けます。
いじめられっ子で、自分に自信のない少女がいました。
両親はケンカばかりしていて、
その少女は、ケンカの理由は自分にあると思っていました。
自分がいい子にしていれば両親がケンカをやめてくれるのではと思い、
少女は完璧にこなそうと努力します。
しかし、その願いもむなしく、
少女が6歳のとき、父は少女と母を残して家を出てしまいます。
少女は、両親が別居した後もふたりの仲を何とかしようと頑張りました。
逆にふたりを困らせる様なことをすれば、
両親は話をするのではと実行しようとしたこともあります。
しかし、いざとなるとその勇気が出ない。
そうこうするうちに、
少女はひと言も口をきけない状態になってしまいました。
「口を開くといまにも泣いてしまいそうで、
そして泣き出したら、涙が止まらないような気がしたから」
そんな少女を思いやってか、
母親は彼女をロンドンの学校に通わせます。
しかし言葉のなまりがひどく、
英語が上手く喋れない少女はいじめられてしまいます。
寂しい気持ちを紛らわす為に、
少女はいつもチョコレートを食べていました。
そんな少女に希望を与えたのがバレエでした。
ある日、母に連れて行ってもらったバレエを見て、
その美しさに虜になってしまうのです。
そこではイヤなことも忘れることができました。
ところが、レッスンに行くと食欲がわき、
「ヨーロッパ中のチョコを食べても足りない」
と、体重はみるみる増加してしまいます。
もともと、少女は自分に自信がなかった。
「ああ、私は歯並びも悪いし、
何の取り柄もない。
私なんか存在価値がない」
そう思っていたところに体重まで増え続け、
少女ははただただ落ち込むばかりでした。
しかし、そんなことも気にしていられなくなりました。
第二次世界大戦が始まったのです。
少女はユダヤ人ではありませんが、
両親がドイツに対する抵抗運動を指導していた為、
家や財産を没収され、
ドイツ軍からは「要注意人物」として目をつけられていました。
財産を没収されていますから、
この頃は、食べるのにも困る毎日です。
食料がなくなると、
犬用のビスケットを食べ、
道端の草や、チューリップの球根と、
汚い雨水で飢えをしのぎます。
そんな生活が続き、
症状は栄養失調による急性貧血症になってしまいます。
さらに、ショックな出来事が起こりました。
大好きだった伯父が、
ドイツの輸送列車を爆破したという容疑で、
ナチスに逮捕され、
街の広場で銃殺されてしまうのです。
少女は自分が生き残っていることへの罪悪感に苛まれるようになります。
1日の終わりに、
「助からない人が大勢いるのに、
どうして私は生き残ることができたんだろう」
と何度も何度も自分にたずね、
見つかるはずのない答えをぐるぐるとあてどなく探しました。
どうして私は今日も生き残ったのだろう?
何で私は生きているのだろう?
そんなあるとき、
少女の身にも危険が迫りました。
軍事基地の調理や掃除をさせるために、
ドイツ兵が女性たちを狩りはじめたのです。
知り合いの女性がトラックに乗せられるとことを見かけて心を痛めていたそのとき、
少女は腰のあたりを何かで突かれたことに気づきます。
少女のすぐ後ろで、
ドイツの将校がライフル銃を突きつけていたのです。
このままでは、少女も連れ去られてしまいます。
少女は兵士がちょっと目を離したその一瞬の隙を見逃しませんでした。
決死の覚悟で一目散に走り出し、
兵士に気づかれるより早く、
角を曲がって路地に飛び込みました。
そして使われていない地下室に逃げ込んだのです。
そこは、ネズミのすみかで、
ボロボロの新聞紙と空き箱が転がっているだけの場所でしたが死ぬよりまし。
ここで、少女は息をひそめ、1ヶ月も過ごします。
食料は、カバンの中にあったりんご数個と小さなパンだけ。
飢えをしのぐために、とにかく眠ることにしたのです。
そんな、ある日、
近くで銃声が聞こえたのを機に、
少女は地下室を出る決心をします。
「理由はうまく説明できないけれど、
銃の音を聞いてるうちに、
生きている実感が湧き上がってきたの」
それまでは、
ずっと生きている意味を考え続けてきた。
でも、そんな意味の前に、
身体は、生きたがっていたのです。
本能は生きることを選択していたのです。
自分が生きているのは、
自分の意思や頑張りによるものではなく、
自然の力で「生かされている」からだ。
少女はそこに気づくのです。
それから5年、
少女の祖国は解放されます。
彼女の16歳の誕生日の翌日でした。
そうです、少女の名は、
オードリー。
オードリー・キャスリーン・ファン・ヘームストラ・ヘップバーン(1929年5月4日〜1993年1月20日)
なのです。
第二次世界大戦後、
オードリーはふたたびバレエを習い始めます。
「母は私のレッスン代を稼ごうと、
そして私はバレエが上手になって母親を助けられるようになろうと頑張っていた。
悩むことなんて何もなかった」
そう。
悩むことは何もない。
生きているということは、生かされているということ。
ならば、生かしてくれている力に委ね、
あとは自分がやれることをやり切ればいい。
ある日、オードリーがバレエのレッスンを受けていた先生のところに映画監督が訪れ、
彼女を見出します。
何と、
オードリーは役者としてスクリーンデビューすることになるのです。
とはいえこの映画で、
オードリーが発したセリフは
「誰?私のこと?」
というひと言だけ。
このあと、映画出演を希望するもことごとく断られてしまいます。
そんな状況を何とかしようと、
オードリーは決意します。
「今こそ行動を起こすときだ」
とロンドンに移住し、
ダンサーの養成学校に行きます。
このとき、オードリーの持っていた全財産はたった10ドル。
でも、オードリーには、
やっていける、という自信がありました。
だって、生きているのは生かされているということだから。
だから必ず何とかなる。
彼女は過去の体験から十分学んでいたからです。
そして、ついに、
運命の監督との出会いを引き寄せます。
「アメリカなまりでない英語を話し、気品溢れる女優」
を探していたウィリアム・ワイラー監督の目にとまり、
オードリーは『ローマの休日』の主演女優に大抜擢。
ここからの活躍はご存知の通りです。
どうして私はいま生きているの?
実は、オードリーはアンネ・フランクと同じ1929年に生まれた同い年。
しかも生まれた月もたった1ヶ月違い。
同じようにつらい日々をくぐり抜けてきたふたりです。
のちに、『アンネの日記』が映画化されるというときに、
オードリーにアンネ役のオファーがありました。
しかし、アンネを演じることは当時の恐怖を再体験することになります。
悩んだ末に彼女はそのオファーを断ります。
しかし、数年後、
オードリーはその恐怖を乗り越えて、
大勢の観客の前で自ら『アンネの日記』を朗読しています。
「何で、私は、いま生きているのだろう?」と問い続けたオードリー。
「死んでも生き続けたい!」と願い続けたアンネ。
同じ年に生まれ、
ともに死と向き合うことで、
真に生きることに目覚めた二人。
生きよう。
思いっきり生きよう。
だって、どんなときも、
あなたの身体は全身で生きたがっているのだから。
生きているんじゃない。
あなたは生かされている。
だから、今日という一日に「ありがとう」。
ゆきえ、
あーりん、
まいまい、
改めて言います、
編集後記
3人の6月の出勤日情報
・ゆっちー
25日(日曜日)AM11:00〜翌AM1:00(握手会予定)
・あーりん
23日(金曜日)AM11:00〜PM17:00
26日(月曜日)AM11:00〜PM17:00
28日(水曜日)AM11:00〜PM17:00
30日(金曜日)AM11:00〜PM17:00
・まいまい
26日(月曜日)PM17:00〜翌AM1:00
28日(水曜日)PM17:00〜翌AM1:00
出勤日に会いに来れない方は、7月2日(日曜日)のてぃーち主催のビーチパーティーに3名とも参加しますので、夏空の下、乾杯しにきてあげてくださいね
【重要なお知らせ】
管理人「ボス」のブログは
がじゃろぐ|軽やかに生きるブログに移行いたしましたので、今後ともよろしくお願いいたします。